初めての有料セッションが終わった、その日の夜
画面を閉じて、ノートを片づけて、席を立つ。手応えはあった。相手も、話せてよかったと言ってくださった。
それなのに、夕食のあいだも、風呂から上がってからも、その方の一日のほうが頭の中に残っている。胃のあたりが重い。病院にいたころ、担当していた患者さんを家まで連れて帰ってしまった夜と、同じ重さです。
線引きで迷うのは、境目に立っているからです。片側だけを見てきた方は、この問いにたどりつきません。
給食と、レストラン
食事を出す場所には、二つの型があります。
給食は、その場にいる全員に届きます。好き嫌いや支払い能力で選ばれることはありません。届けること自体が目的だからです。医療は、この型に近いところにあります。
レストランは、選んで入ってきた人に、対価と引き換えに出します。来ない人がいても、それは料理の失敗ではありません。ビジネスは、こちらの型です。
理学療法士や看護師といった国家資格を持つ方が、オンラインのヘルスコーチとして事業を始めたとします。そのとき、利用される方を病院のときと同じ「患者さん」として扱ってしまうと、給食の作り方でレストランを開けることになります。医療とビジネスの境界が曖昧になり、付加価値が下がりやすくなります。満足いただけない誤解やトラブルにもつながります。
クライアント、ご利用者様は、自らサービスを選び、対価を支払う自立した存在です。一方、病院や施設で接している患者さんは、サービスのお客様ではありません。今すぐ誰でもいいから助けを必要としている方で、心理的にも社会的にも依存的な傾向を示しやすく、支援を要するフェーズにあることが多い。依存できるものを探している状態、と言ってもよいと思います。
その依存的な立場を悪徳商法にしてしまわないために、医療従事者は国家資格という最高位を与えられ、徹底した倫理観を学び、実践の中で身につけてきました。副業や起業を志す医療従事者は、ほぼ100パーセントがこの線引き問題に直面します。放置すると自己犠牲や混乱を招きやすく、事業の持続が難しくなることもあります。
同感と共感は、別のものです
対人援助を長く続けるには、共に感じすぎない距離感が欠かせません。相手の苦しみや現実を自分のものにしてしまうと、燃え尽きてしまう、専門性を発揮できなくなる、私生活にも影響が出る、ということが起こります。逆に距離を取りすぎると、冷たい、見放されたと感じさせてしまうこともあります。
同感は、相手と同じ感情になってしまうこと。巻き込まれる側です。共感は、相手の感情を理解しながら、自分は冷静でいられること。専門性が保たれる側です。冒頭の、風呂から上がっても抜けない重さは、同感のほうに寄っているときの合図です。
ただの顧客でもなく、ただの症例でもなく、それでいて人生を背負いすぎない。この関わり方が土台になります。
届かない層がいるのは、力不足ではありません
自立型のトレーニングプログラムには、届きにくい層がいます。日々の生活やお金に追われている方。今すぐ誰でもいいから助けてほしいと感じている、依存的な状態の方。思考や美学に価値を見出す余裕がないほど、毎日がお辛い方。
こうした方に届かないのは、提供する側の力不足ではありません。給食の対象の方が、レストランに来られないだけです。今すぐ誰でもいいから助けを求める状態は、医療や福祉の領域にあたります。日本は、そのインフラが整っている珍しい国のひとつです。
医療の基本は、全員の命と健康を守ること。ビジネスの基本は、価値を理解できる人に届けること。目的そのものが違います。興味のない方には、今は届かなくてもよい。いつか興味が出たときに来ていただけるよう、日々研鑽するだけです。
伴走はしますが、人生を背負うのは本人です。このスタンスは、国際的にはプロフェッショナルの距離感として標準とされています。誤解を怖がらずに、丁寧に伝える力のほうを磨いていく形になります。
合わない相手に、申し訳なさで引き受けてしまう回数が減ります。断ることが冷たさではなく、届く相手に力を残す判断だと分かります。求められたら全部に応える立ち方を、そこで置きます。線を引くというのは、そういう仕事の仕方です。