終わったのに、終わった気がしない夜
一日の仕事を片づけて、机の上を空にして、もう寝るだけという時間になっても、まだ何かが残っている感じがすることがあります。やり残しを探しているわけではないのに、肩のあたりが下りてこない。
受講されたLさんは、アンケートにこう書かれています。「いつも自分で上げてしまうハードルの高さを修正して寄り添って頂き、ありがとうございました」。
自分で上げてしまう、という書き方をされています。誰かに課されたのではなく、自分の手で上げていることに、Lさんはすでに気づいておられました。気づいていても、ひとりでは下げにくい。この話は、そこから始まります。
走り高跳びのバーを、跳んだ側が上げている
走り高跳びは、跳べたら次のバーが上がります。競技ならそれで正しいのですが、日常でこれをやると、跳べた日の高さがそのまま明日の出発点になります。跳べなかった日だけが失敗として残り、跳べた日は記録に残りません。
だから、順調に続いている人ほど、バーは静かに上がっていきます。もっとできるはず。これくらいで満足してはいけない。この声は、怠けている人からは出てきません。よくなろうとする力が、そのまま自分を締めつける力に変わっているだけです。
自己探求のトレーニングでも、同じことが起こります。今日の気づきはこの程度では足りない、もっと深く向き合わなければ、と自分を追い詰めてしまう。上げ続けている人は、上げるだけの力がある人でもあります。
上がりきったときの合図は、たいてい身体に出ます。食事の途中で次の予定を考えている。休みの日の午前中に、何もしていないことが落ち着かない。眠る直前に、今日できなかったことのほうを数えている。
修正して、寄り添う
Lさんが感謝を述べておられたのは、ハードルの高さを修正してもらえたことでした。これは、頑張りすぎないでいいよ、と声をかけることではありません。自分で上げすぎているバーの位置に気づけるようにし、跳べる高さへ置き直せるよう伴走することです。
寄り添うことは、甘やかすことと混同されがちです。けれども、二つは違います。甘やかすのは、成長することを諦めてしまう関わりです。寄り添うのは、その方のペースを尊重しながら、前進を支える関わりです。スラトレ®の伴走は、後者にあたります。
バーの調整も同じで、下げること自体が目的ではありません。目指す先を諦めるのではなく、そこへ向かえる高さに置き直すのです。
自分を見返す時間
Lさんが初級コースで得たものとして挙げられたのは「自分自身の事を見返す時間。そしてその時間の大切さ」でした。自分を見返す時間は、忙しい日常のなかでいちばん先に削られます。10回のコースは、その時間を取り戻すことを大切にした設計になっています。
ここに書いたのは、Lさんお一人の受け取り方であり、同じ経過を保証するものではありません。ただ、自分で上げてしまう、完璧にやろうとしすぎる、と感じている方にとって、バーを上げているのが自分の手だと知ることは、一つの手がかりになります。
高さを自分で決められるようになると、跳ぶ回数が増えます。前は、高すぎて跳ばずに終わった日がありました。
跳んだ回数は残ります。残った回数が、次の高さを決めるときの材料になる。誰かに合格をもらうために跳ぶのではなく、次にどこまで行けるかを知るために跳ぶ。そうなった練習は、長く続きます。