手術の最前線にいた12年
整形外科の第一線で、約12年にわたり数多くの手術を手がけてきました。
もともと幼い頃から強度の近視を抱えていて、外科医になるために視力の手術を受けています。限られた時間の中で全力で研鑽に打ち込み、多くの患者さんが術後に素晴らしい回復を遂げていく奇跡を見守ってきました。
手術は、人の機能を最も直接的に取り戻す手段のひとつです。骨折の整復、関節の修復、腱の再建。目の前で、人の機能が戻っていく瞬間に立ち会う。医師として、何物にも代えがたい経験でした。
残り続けた問い
ところが、キャリアを積み重ねる中で、ひとつの疑問が残るようになりました。
「手術で良くなる。でも、また再発する。これは本当の解決なのか?」
何度も同じ患者さんを手術することがありました。手術そのものは成功しています。患者さんも感謝してくださる。それでも数年後、別の部位で同じような問題が起こる。
これは技術の問題ではありません。症状を取り除くことと、根本を変えることは違う。その現実に、繰り返し向き合わされる経験でした。この問いは、答えが出ないまま、手を動かしている横にずっと置かれていました。
視力の限界が、先に来ました
順調に見えていたキャリアとは裏腹に、視力の限界は予定よりも早く訪れます。
10年ちょっと経ったところで、緻密で精密な作業ができなくなり、外科医のキャリアに終止符を打つことになりました。最も油が乗った時期に手術を続けられなくなる。これは、医師としてのアイデンティティを根底から揺さぶられる体験でした。
決断という言葉には、選んだという響きがあります。けれどここで起きていたのは、選べる範囲のほうが先に狭くなったという事態でした。残っていたのは、狭くなった範囲の中で何を続けるかという問いだけです。
置いたのは、道具のほうでした
そんなとき、以前担当した患者さんの言葉がふと蘇りました。
「もし手術をせずに良くなる方法があるのなら、それほど嬉しいことはない。先生ならできるでしょ」
同時に、医師を志した頃の想いがよみがえります。人がもともと持っている回復力に働きかけ、薬や手術に頼らずに根本から改善する策を届けられる医師になりたかった。そのことを、自分でも忘れていたのかもしれません。
メスを置いた日に失ったのは、志のほうではなく道具のほうでした。手術ができる人であることをやめただけで、あの問いは残ったままです。本来なら挫折であるはずのできごとが、希望に変わったのは、その順序があったからだと思っています。