ひとつの道を極める、という職業の形
医師は、ある意味で「ひとつの道を極める」ことを求められる職業です。専門を選び、技術を磨き、その領域のエキスパートになる。レールを外れる人は少なく、外れた先の地図もほとんど整備されていません。
その道が突然断たれたとき、あるいは自分から降りたくなったとき、受け皿が極端に少ないのが現実です。「この先、ずっとこのペースで続けられるのか」「自分のキャリアは、このままでいいのか」「臨床以外に、自分にできることはあるのか」。こうした問いが浮かぶ瞬間が、あるのではないでしょうか。
失うのは手技であって、見る目ではありません
臨床を離れてから、スタンフォード大学で感情知性を学ぶ機会がありました。人の思考と感情がパフォーマンスにどれだけ影響するかを、体系的に理解する時間になりました。
そこで気づいたのは、整形外科医として12年以上培ってきた視点が、臨床の外でもそのまま活きるということでした。「体と心はつながっている」という見方も、「症状を和らげるだけでなく根本から取り除く」という姿勢も、場所が変わっても持ち出せます。
失うのは具体的な手技であって、医療の本質を見る目ではありません。ここを分けておくと、転機の見え方が変わります。
「治す」から「育てる」へ、という選び直し
治す医療は、症状が出てから対処します。手術、投薬、処置が中心で、介入は時間的に限られます。育てる医療は、壊れる前に働きかけます。思考、生活習慣、身体の使い方を鍛えるもので、関わり方は長期になります。
手術で体を治す医療から、思考と身体の使い方を鍛える教育へ。産業医としての知見も加えることで、働く人に向けた形として体系化できました。専門を極めた経験は、別の形で活きます。
転機が来る前に、現在地を確かめます
医療従事者は、自分の健康を後回しにする文化の中で働いています。相手のためなら無理をする、休まない、弱音を言わない。それがプロフェッショナルだと信じてきた方は少なくありません。
転機を経験してわかったのは、「自分を整えることが、結果として最も多くの人を支えることになる」ということでした。飛行機の酸素マスクと同じで、まず自分に装着してから、隣の人を助けます。転機は誰にとっても突然やってくる可能性があります。健康な今のうちに、自分の健康と思考の現在地を確かめておくことが、キャリアを長く続けるための現実的な備えになります。
診療の合間に、自分の脈や息の浅さに気づける余白ができます。相手のためだから後回し、という順序が外れました。無理をして支える形をやめて、整えた自分で支えます。長く続く専門職は、そこで別のものになります。