「無理な適応の結果」として現れるもの
診察室で、40代の患者さんがこう言われたことがあります。体の怪我は良くなったけれど、「何か満たされない気持ちがあります」と。治療そのものは終わっているのに、話はそこで終わりませんでした。
人間の脳と体は、現代の忙しすぎる生活リズム、過剰な情報の刺激、終わりのない競争に、適応しようとし続けています。医療の現場で見てきた多くの症状は、この「無理な適応の結果」でした。目の前の出来事を片づけるだけでは足りない何かを体が感じているなら、それは「もう無理をしたくない」「限界かもしれない」というサインを体が出している、と受け取ることもできます。
原動力が不安や恐れだと、結果もそちらへ寄ります
私たちは普段、自分の思考や感情を軸にものごとを判断し、選択しています。その原動力が不安や恐れ、自己否定といったネガティブなものであったなら、結果もそちらへ寄りがちです。
たとえば、失敗したらどうしようという恐れから選ぶ仕事。一人になりたくないという不安から続ける関係。周囲の期待に応えねばという義務感から決める進路。どれも一見すると前向きな選択に見えますが、心身の健康を損なう方向へつながりやすいものです。
やっかいなのは、ネガティブな感情には人を突き動かす強いエネルギーがあることです。だからこそ、多くの人がその力に押されて働き、生き、疲れ果てていきます。その慣れの果てが、不調や怪我、最終的には病院での診察や治療という形で現れます。
5分前に、と問うてみる
スラトレ®の中で、いつも口にしている問いがあります。「寿命を終える5分前に、はじめて人生を総括できるとき、『あのとき、本当は別の選択をしたかった』と後悔しないよう、今を生きていますか」というものです。
この問いは、いまの選択を責めるためのものではありません。原動力がどこにあったかを、その場で確かめるための道具です。収入を上げる、フォロワーを増やす、結婚する、子どもを持つ、転職する、独立を考える。どれも自然な望みですが、その奥にある目に見えない原動力までは、意識に上がってきません。
先ほどの患者さんも、病院を受診したかったわけではなかったと思います。他人である私に治してほしかったわけでもない。自分自身の本当の声を聞いて生きたかった、という願いに気づきたかっただけなのだろうと感じています。
選び直す力は、いつからでも
思考や感情に翻弄されず、物事の本質を見る力を養う。内側の静かな声に耳を傾ける習慣を持つ。意識の質を高めて、選択の質を変える。これは自己啓発の話ではなく、選び直す力が人を本来の人生に還す力になる、という実感からの話です。
この考え方は、最近の流行に乗ったものでもありません。1800年代から一部の医学者や心理学者が、誰かの健康や幸せを思って研究し続けてきた知見の上に立っています。
そして、選択の質が変わると、変化は自分の内側だけにとどまりません。周囲の人との関係が深まる。本当に必要なものだけを選ぶようになる。他者の本質的な部分を尊重できるようになる。内面を整えることは、自分のためだけでなく、まわりへの静かな贈りものにもなります。人生は、いまここからでも選び直せます。
迷ったときの問いが、損か得かから、これは自分の望みから出た選択か、に替わります。後悔は、選んだ結果ではなく、選んだ理由の置き場所から来ていた。人の期待を材料にしていた選択が、自分の望みを材料にした選択になります。