ほめ言葉のはずなのに、重くなる
会議が終わって、席を立つときに言われることがあります。いつも助かってるよ、ちゃんとしてくれるから。悪い言葉は一つも入っていません。
それでも、エレベーターを待っているあいだに、少しだけ肩のあたりが重くなる。次も同じようにやらなければ、という文が、聞いた本人の中で勝手に足されているからです。
がっかりさせないように。迷惑をかけないように。大人としてふるまえるように。そうやって置いた基準は、たいてい下げにくくなります。一度その水準で応えてしまうと、次からはそこが出発点になるからです。しかも、うまくいっているあいだは誰も止めません。
目の細かい網を持っている
きちんとやる力は、目の細かい網のようなものです。細かいところに気がつく、先を見て手を打つ、任されたことを最後まで持つ。網の目が細かいので、流れてくるものをよく拾えます。仕事の中では、これがそのまま効きます。
問題は、網に枠がついていないときです。どこまでが自分の担当で、どこからが違うのか。枠が決まっていないと、目に入ったものが全部、自分の網に乗ってきます。拾わずに通すのは、網の性能が高いほど難しくなります。性格の問題ではなく、網の目の細かさの話です。
しかも、枠を決めないほうが、その場は静かに収まります。誰かに確認する手間も、断る説明も要りません。だから枠は決まらないまま、少しずつ広がっていきます。
重さに変わったときに出てくるもの
境目は分かりにくいのですが、いくつか兆しがあります。
本当は疲れているのに、大丈夫と答えている。納得していないのに、はい、と返している。断る理由を、相手が納得しそうな形に組み立ててから話している。飲み込んだ一言が、喉のあたりに残ったまま夜になる。
どれも一度なら自然なやりとりです。ただ、それが続いているとき、自分の状態を伝える回路のほうが先に閉じていることがあります。閉じたまま引き受け続けると、朝、目が覚めた瞬間から今日の予定の重さが先に来るようになります。
厄介なのは、この状態でも仕事が回ってしまうことです。回っているあいだは問題として扱われません。だから、気づくのは本人だけということになりがちです。
手を抜く、では解決しません
この状態に対して、力を抜こう、適当でいい、といった助言が返ってくることがあります。ただ、目の細かい網を持っている人にとって、それは実行できない指示です。できないことを言われると、できていない自分がもう一つ増えます。
助言の向きも少しずれています。問題は網の目の細かさではなく、枠がついていないことのほうにあります。性能を落とす話ではなく、枠を置く話です。
減らすのではなく、線を引く。何を引き受けて、何を引き受けないのか。そして、自分がいまどう感じているのかを、まず自分に対して言葉にする。順番としては、こちらが先に来ます。
線を引いた翌朝は、目が覚めた瞬間に予定の重さが来ません。来るのは、今日やると決めた一つです。
網の目は細かいままで構いません。細かい網は、拾いたいものを拾うための道具です。誰の分まで拾うかを自分で決めた日から、その細かさは、消耗ではなく持ち味になります。