検査では何も出なかった、という日
日曜の午後、洗濯物をたたんでいる途中で手が止まって、そのまま座り込んでしまう。眠れているかと聞かれれば、眠れている。食べられているかと聞かれれば、食べられている。仕事も家のことも、それなりに回っている。
外から見て困っているところが見当たらないので、理由を自分の中に探しにいきます。探しても出てこないので、うまく説明できないことにまた落ち込んで、結局、私の気の持ちようだ、というところに落ち着けてしまう。
説明できないしんどさを説明しようとしてきた時間は、無駄ではありません。探す場所が、出来事のほうだっただけです。
二人三脚で、歩幅が合っていない
心と体を、二人三脚にたとえてみます。二人で足をひもで結んで、同じ方向へ歩いている状態です。
歩幅が合っているあいだは、二人であることを忘れていられます。合わなくなると、進んではいるのに、進むこと自体に力が要るようになります。距離は同じなのに、着いたときの疲れ方が違う。
ズレ方には、二つの向きがあります。心は疲れたと言っているのに、体は、まだいける、で動いている。逆に、体は止まりたいと言っているのに、心は、ちゃんとしなきゃ、で動いている。どちらも、片方が相手を引っぱっている状態です。
引っぱられている側は、たいてい小さな合図を出します。朝、目が覚めた瞬間に体が重い。何かを始めようとすると、みぞおちのあたりが少し縮む。理由の見当たらないところで涙が出る。合図は出ているのに、歩くほうを優先していると、受け取る側が留守になります。
整えるとは、歩幅を戻すこと
整える、と聞くと、また新しくちゃんとすることが増えるように聞こえるかもしれません。そうではありません。自分に問いかけて、自分の声を聴くこと。心と体の歩幅を、そっと戻していくことです。
何かを新しく足すのではなく、自分の中にある整う力を呼び戻していく。今のままでいい、でも少し静かに戻ってきたい。そんなときに向いている向き合い方です。この内側のズレを整えていくことが、スラトレ®のアプローチが扱っている部分でもあります。
整うとは、ちゃんとすることではありません
整うとは、ちゃんとすることではありません。自分をもう一度、感じ直すことです。ちゃんとすることは、これまで十分にやってこられたはずです。
説明のつかないしんどさを、性格や気の持ちようの問題として片づける前に、いま心と体の歩幅が合っているか、と一度たずねてみる。この問いは、いつでも、その場で自分にたずねられます。
一度通すと、形が残ります。歩幅が合っていない日に、その日のうちに気づける。気づけた日は、無理に合わせにいかず、体のほうへ予定を組み直せます。
組み直した一日は、ちゃんとしている一日とは別のものです。ちゃんとしている一日は、外の基準に合っています。外の基準に合わせるのをやめた日から、24時間は自分のものになります。