気になることに全部反応していたら、疲れてしまいます。
皆さんこんにちは、Dr.EKO博士です。
毎日をキラッキラに生きるThrive(スライブ)のためのトレーニング、スラトレ®を運営しています。
小さな声は、流れていきます
なんとなくしんどい。
この人といると疲れる。
本当はこれ、やりたくないのかも。
日常のなかで、こうした小さな声がふと浮かぶことがあります。
そして多くの場合、その瞬間に「気のせいかも」「考えすぎかも」「このくらいみんな我慢してる」と流してしまいます。
忙しさのなかで、あるいは周囲への配慮のなかで。
このスルーは、知らず知らずのうちに積み重なっていきます。
スルーが続くと、自分の声が聴こえなくなります
小さな声をスルーし続けると、自分のなかに「自分の声を聴かない習慣」が育っていきます。
最初は違和感があったはずのことが、気づけば当たり前になり、やがて自分が何を感じているのかさえ、わからなくなっていくのです。
だからこそ、この流れに静かに気づく時間を持つことが、すべての自己探求の入口になると考えています。
スルーしない、というシンプルな選択が、自立型トレーニングの土台を作っていきます。
入口、土台、と続けて呼んでいるのは、この姿勢の上にしか次のものが積めないからです。
「スルーしない」と「いちいち反応する」は違います
ここが今回の話の中心です。
スルーしないというのは、すべての感覚に即座に反応するということではありません。
感じたことを否定も肯定もせず、「ああ、いまこう感じたな」と静かに認識する。
それだけで十分なのです。
反応と認識は、別の行為です。
浮かんだ感覚の全部に反応しようとすれば、それ自体が新しい忙しさになってしまいます。
静かに認識するだけなら、日常を止めずにできます。
立ち止まるのは、ほんの一瞬でよいのです。
そしてこの「静かに認識する」という行為が、ノート術や、ボディサインに気づく練習、ネガティブちゃんを見つけるといった各ツールの共通土台になっています。
どのツールも、まず気のせいでスルーしないという姿勢があって、初めて機能するのです。
自分を大切にする、の最も身近な形
「自分を大切にしましょう」という言葉は、世の中にたくさんあります。
でも、具体的に何をすればよいのかは、意外と語られません。
その最も身近な形が、「気のせいかも」とスルーしないことだと考えています。
自分が感じたことを、なかったことにしない。
これを繰り返すことが、そのまま自分への敬意の積み重ねになっていきます。
なお、認識したあとの具体的な扱い方の手順は、初級コースのなかで一つずつ扱われています。
「気のせいかも」と流しそうになった一瞬に、少しだけ立ち止まる。
スライバーという生き方の根っこにある、ありのままの自分を受けとめる感覚は、この小さな積み重ねから育っていきます。
気のせいかも、で流した数だけ疲れていた日々が、その一瞬で立ち止まれるようになった日から変わります。
あとから理由の分からない重さが残らない。
自分の感覚を疑うことに使っていた力が、自分の感覚を使うほうへ回ります。
