お金と時間があれば、自由になれますよね?
皆さんこんにちは、Dr.EKO博士です。
毎日をキラッキラに生きるThrive(スライブ)のためのトレーニング、スラトレ®を運営しています。
価値に対価を払う、が普通の場所
アメリカには、日本のような一律の国民皆保険がありません。
民間の医療保険に自分で加入することになり、保険料はかなり高額です。
加入できる等級によって、受けられる医療の質がそのまま変わります。
民間の病院は大きく三つに分かれます。
大学附属の教育病院であるティーチング・ホスピタル。
地域の中核を担うコミュニティ・ホスピタル。
過疎地域向けで医療資源が限られる小規模なクリティカル・アクセス・ホスピタル。
一流とされる病院で最上位の医師に診てもらうには、高額な民間保険への加入が要ります。
研修の仕組みを見ると、別の面があります。
海外の医師がアメリカの免許に切り替えるときは、もう一度国家試験に合格し直し、その点数で研修病院が振り分けられます。
外国籍の医師は小規模な病院への配置になりやすく、多くの外科医はそれを喜びます。
手術の経験を積みやすいからです。
隣の病室の人が百万円を払って最上位の医師をつけたとき、日本では、ずるい、という感情が出やすいところです。
アメリカでは、良い医師に診てもらいたければそれだけのお金を持ってくればいい、という反応が返ってきます。
お金はそこでは通行手形で、ディズニーランドのファストパスのようなものだ、という見方です。
この差が、お金の勘定ができるかどうかの差だとされています。
勘定とは収入と支出を計算することですが、条件が一つあります。
ネガティブな感情を一切挟まずに計算できることです。
稼ぐ力と、空いた時間
一つめの経済的自由は、価値の高いものを手に入れたいと思ったときに、実際に手に入れられる状態です。
ある程度自由に貨幣を得られる力、つまり稼ぐ力です。
ファストパスを買える状態にあること、と言い換えられています。
二つめは時間的自由です。
収入の形が二種類あることが、先に置かれます。
一つは労働所得。
自分の体を使い、時間と引き換えに得る収入です。
もう一つは、仕組みを作ることで入ってくる知的所得で、不労所得と言われることもあります。
不労と聞くと楽をしているように響きますが、体を使って働くか、頭を使って働くかの違いで、どちらが上でも下でもありません。
十時間働いて十万円を得ていたものが、仕組みのほうで一時間で十万円になれば、九時間が空きます。
この九時間分が、時間的自由に当たる部分です。
この三つを、59秒で話している動画があります。
動画・59秒
三つめは、お金でも時間でもない
三つめが精神的自由です。
お金と時間に左右されない、心の自律を指します。
余るほどのお金と時間があっても、精神的に自由かどうかは別の話です。
三つめを持つ人には、国内ではほとんど出会わなかった、という観察が置かれています。
この三つをそろえて持つ人を、スラトレ®ではスライバーと呼びます。
認定資格ではありません。
かつては、労働所得の形しか持っていませんでした。
朝から晩まで働き、燃え尽きて倒れたことがあります。
休養で仕事を休むと時間の余裕はできましたが、収入への不安が頭を覆います。
働かなければ収入が止まる仕組みしか持っていなかったのだから、当然です。
休んでいるようで休めていない、精神的自由からは遠い状態でした。
そのころ、二十九歳で、大手銀行の土曜の資産形成相談に申し込みました。
比較的高齢の富裕層が訪ねる場で、担当者は驚いていました。
その方は当時、その銀行の西日本で最上位の金融の専門家です。
いまは閉じたプライベートバンクで、約一年間みっちり教わりました。
ちょうどドル円が歴史的な円高水準、七十五円前後をつけていた時期です。
全財産を集めてドルを買ったほうがいい、と言われて困惑し、金融商品は怖い、というネガティブな感情にも襲われました。
それでも猛勉強のうえ、初めてドル建ての金融商品を購入するという選択をしました。
当時の貯金は多くありませんでしたが、十五年以上経ったいまも、その経験は自信として残っています。
投資の判断は、各自の責任で行うものです。
順番は、どこからでも始まります
三つに優劣はなく、大事なのはバランスのほうです。
だから、始める順番も一つに決まっていません。
稼ぐ力から先に作る人がいます。
先に時間の余白を確保して、その中で効率よく稼ぐ形を作る人もいます。
心の自律を土台に置いて、それに見合った貨幣の量と時間の量を自分で決めていく人もいます。
どの順番でも、三つがそろえば同じ場所に着きます。
ただし、三つめだけを持っていればよいという話にはなりません。
全部を投げ出して自由を求めても、ある程度の経済と時間の土台がなければ、貨幣で回っている社会の中では動きにくくなります。
逆に、支出の少ない人であれば、収入はそれほど多くなくても成り立ちます。
どの国に住むか、どの地方に住むか、家庭菜園からどれだけ穫れるか。
割合はそこで大きく変わります。
自分のバランスをどう置くのか。
三つの自由の割合を、世間の標準ではなく自分の暮らしで決められるようになります。
どの順で作るかも、どこに厚みを置くかも、自分の手の中です。
誰かの理想像に自分を寄せていく生き方は、もう要りません。
バランスを問うというのは、その手綱を握ることです。
