不安は、避けたほうがいいものですよね?
不安は、避けるものだと思っていました
Dr.EKOが20年近く前に持っていた考えです。
不安やストレスは、できるだけ避けるもの、逃げるもの。
近づかないでいれば、そのうち通り過ぎていくもの。
医師として働きながら、そう考えていたと振り返っています。
この見方は、特別なものではありません。
不安の扱い方そのものを習う機会は、学校にも職場にも、ほとんど用意されていないからです。
計算の仕方も文章の書き方も教わりますが、カチンと来たときに何をするかは、各自の工夫にまかされています。
避けているあいだに、起きていたこと
避けるという対処には、続きがあります。
目の前からは一度消えるので、その場はしのげます。
ただ、同じ種類の場面が来ると、また同じだけ不安が立ち上がります。
避けた回数を重ねても、立ち上がる強さのほうは変わりませんでした。
そのうちに、避けられる場面のほうが減っていきます。
任される範囲が広がるほど、迂回できる道は少なくなるからです。
役職が上がるほど逃げ場が減るのは、気の持ちようではなく、この順番によります。
Dr.EKOのところに集まる相談も、似た形をしています。
感情の波に振り回されている。
自分を見失いそうになる。
才能を十分に発揮できていない。
この三つは別々の悩みに見えて、内側で起きていることの中身が見えていない、という一点でつながっています。
中身が見えないものは、避けるか我慢するかの二択になります。
誤解だったと気づくまでに、20年近くかかりました
不安は、通り過ぎるのを待つものではなく、中身を見にいくものだった。
ここに行き着くまでに20年近くかかっています。
中身を見る、というのは、何にどう反応したのかを言葉にして紙に置く作業です。
言葉になると、不安の形が変わります。
ひとかたまりで大きかったものが、いくつかの具体的な心配に分かれていきます。
分かれたものは、一つずつ見ていける大きさです。
同じ20年を、もう一度過ごす必要はありません
何に反応したのかを紙に書き出す手順そのものは、今日の帰り道のあとにも試せます。
ノートを1冊置いて、その日カチンときたことだけを書く。
それ以上のことは、最初はしなくてかまいません。
何週間か続けると、書いたものが並びます。
並ぶと、同じ場面が繰り返し出てくることに気づきます。
相手が変わっても、引っかかる形だけが同じままだと分かる日が来ます。
形に名前がつくと、次に来たときの向き合い方が変わります。
避けるか我慢するかの二択が、一つ増えます。
20年かけて行き着いた場所へは、紙とペンで近道ができます。
同じ場面がまた来たとき、手が伸びるのが我慢でもその場を離れることでもなく、ノートになります。
不安が来たかどうかで一日を採点するのをやめて、今日は何に反応したかを一行だけ書いて閉じる。
避けるために張っていた注意が、自分を読むほうへ向きます。
